◆遠恋・結婚エピソード 遠恋OB みつさんの場合

<きっかけ>
 私と旦那様が出会ったのは職場ででした。当時旦那様には8年、私には5年お付き合いしていた恋人がいました。お互いに1年以内の結婚も決まっていたのです。ところがある日、旦那様がふられたのです。同期として仲の良かった私は一緒に飲みに行ったり、電話したりと励ましていました。それから2ヶ月弱、旦那様は転勤になり大阪から東京へと旅立ちました。その旅立ちから2ヶ月後、私は寿退社が決まっていました。 しかし、寿退社を1ヶ月後にせまったある日、 私もふられてしまったのです。 あまりにものショックで、私はおかしくなりそうでした。 私が助けを求めたのは近くにいる誰でもない、遠くにいる旦那様だったのです。 旦那様は私を励まし、勇気づけてくれました。 私が夜よりも朝起きた時が辛いと言えば、朝に電話をかけてきてくれたり、 どんなに忙しく疲れた時でも私の電話に付き合ってくれました。 そんなある日「俺にしなよ。俺だったらそんなに辛い思いは絶対にさせない。 大切にするから。」と言う言葉をもらったのです。 それから二人の東京ー京都の遠距離恋愛がはじまりました。  

<遠距離恋愛>  
 私にとって遠距離恋愛は不安ばかりでした。 当時の私はふられたことがトラウマになってしまっていたのです。 恋愛経験が少ない方ではなかったのに、 どうやって恋愛をしていけば、どうやって旦那様を信じていいのかが 私にはわからなくなっていました。 その上遠距離恋愛・・・。 私はもっと近くの人と恋愛した方が良かったんではないかと 何度となく思いました。 そんな私を思って、どれだけ忙しい時でも旦那様は毎日朝晩私に電話を くれました。たまには手紙も書いてくれました。 付き合って1ヶ月後には私の両親に会ってくれたし、 2ヶ月後には関東の旦那様の実家にも連れていってくれました。 それでも電話が通じない時や、なかなか電話にでてくれない夜や、 ちょっと低い声のトーンやそっけない言いまわしなんかがあった時は 私はどうしようもなく不安になってしまいました。 何度となく別れようと思いました。 こんなに辛い思いするのはもう嫌だ、会いたい時に会える距離がいい、 喧嘩した時にはその後にはすぐ会える距離がいい、自分の目の届くところに いて欲しい、そう思いはじめると遠距離恋愛が辛く感じて仕方ありませんでした。 でも、そんな時には旦那様はいつも 「2000年には必ず迎えに行く。俺を信じていて欲しい。絶対生涯において 君を悲しませることはしないようにする。だから、一緒に頑張ろう。一緒に歩いて行こう。」と言ってくれました。 電話代がお互い5,6万かかった月も多々あるし、 思いたったら、翌日には新幹線に飛び乗っていたこともありました。 それでも過去の恋愛で傷ついた私を誰よりも理解し、旦那様全部で受けとめてくれたこと、私は今でも感謝しています。 きっと旦那様でなければ、私は遠距離恋愛を成就することも、 人間を信じることもできなかったかもしれない。  

<元彼の出現>  
 旦那様と付き合いだして3ヶ月くらい経った頃、 私の携帯に非通知の電話がかかってきました。 電話にでてみると、元彼でした。 「元気にしてる?」懐かしい声でした。 それからたわいもない話をした後に私は今付き合っている男性がいると 元彼に報告しました。 元彼はすこし驚いたようで、 「もう、俺の帰れる場所なないのか・・・。」 とつぶやいていました。 それからちょくちょく非通知の電話がかかってくるようになりました。 「よりを戻したい。」 そんな元彼の身勝手さに腹がたちました。 「好きな人ができたから・・・。」そう言って、勝手に婚約を解消したくせに。 最初は私も旦那様には心配かけたくなかったので、このことは報告しません でしたが、あまりにも頻繁に電話がかかってくるようになり、 旦那様との電話中にも携帯がなり、困った私は旦那様に報告しました。 旦那様は怒り、「俺が元彼に電話する。」と私に申し出てくれました。 でも、私は自分の過去は自分の手で整理しておきたかったので、 もう少し待ってもらえるようにお願いし、非通知にはでない、でても元彼だったら すぐに電話を切りました。 そうこうしているうちに連絡は減ってきたのです。 私は元彼の出現にも全く動揺することなく、気持ちはずっと旦那様にありました。 私にとって最高の人だと確信がもてました。  

<初めての指輪>
 私は誕生日にもクリスマスにも旦那様から指輪を貰ったことがありませんでした。 私が知っている男性は何かと言えば指輪だったから、私にはなんでだろう・・・、 という気持ちで一杯でした。 そんなある日、2000年を一緒に迎え、お正月は私の実家で過ごすことになりました。 30日まで仕事の旦那様は31日の新幹線で東京から京都にやってきてくれました。年越しは某コンサート会場で迎えるため、私達は車で大阪に向かいました。 コンサートが始まり、さあカウントダウン、私は旦那様と過ごせる年越しに幸せ一杯でした。カウントダウン直後、風船が一杯紙ふぶきもとんで、 会場が盛大に盛り上がっていた頃、旦那様は「お年玉をあげよう。」とスーツの胸ポケットから宝石ケースを取り出しました。 私は訳がわからず、ケースを開けてみると 見てすぐわかるような「エンゲージリング」が入っていました。 私は感動のあまり動けなくなってしまっていると、 旦那様は私の指にリングをはめてくれ、そこでプロポーズしてくれました。 風船と紙ふぶきが舞っている中で、私は泣いてしまいました。 その後、お昼に旦那様は私の実家に来てくれて、私の両親にも「結婚させて欲しい」とお願いしてくれました。 それからその月のうちに旦那様の両親の元にも「結婚します」 との報告をしに二人で行きました。 約束通り2000年に旦那様は私を迎えにきてくれました。

<結婚してから現在は・・・>
結婚して旦那様の元に行くということは、住みなれた場所も離れなければいけない ということと、ずっと親元にいた私は初めて両親の元から巣立つついうこと。 京都から横浜に引越し、最初は寂しくて仕方ありませんでした。 旦那様のこと理解しているつもりでも、一緒に生活していると 色々なところがお互い見えてきて、最初の3ヶ月は衝突をよくしました。 私は2度、家出をしました(−−;)。 1度目は旦那様は私を探し、追いかけてくれたのですが、その時に言われたのが、 「今度家出しても、絶対に迎えにいかないからね!」というキツイ言葉。 それでも私は2度目をしてしまいました。 深夜の街をウロウロすること1時間、見知らぬ男性に声をかけられ、とてもおびえてしまいました。携帯を持ってでてきているのに、旦那様は電話さえしてくれない。探してくれてるのかな?という甘い気持ちで帰宅してみると、玄関は開いているものの、電気はすべて消されていました。 寝室を覗いてみると、そこに本をベッドで読んでいる旦那様が・・・。 私は唖然とするのと同時に悔しいやら悲しいやらで・・・。 そんな私を見て、「迎えに行かない!って前に約束したよね?」と・・・。 私はあまりにもヒドイと思って、「こんな人とは知らなかった。ヒドイ・・・!」 と号泣しましたが、旦那様は「お前にはわからないだろう。どれだけお前を探しに行った方が気持ちが楽か・・・。お前にもしも何かあったらどうしようという気持ちでここで待っているというということがどれだけ苦痛かわかるか? でも、いつまでも迎えに行ってたら、お前は俺と向きあう前に家出するでしょ? それとも迎えにきて欲しいから家出するの? 結婚っていうのはそんなに甘ったるいもんではないだろ?同じ人間でないのだから、違う意見や考えを持っていて当然だし、自分の気にいらないと思うこともおこるだろう?だからこそ、お互いに納得するまで話し合わなくちゃいけないんだよ。 一人じゃないよね、二人だよね、二人分で考え歩いていけるようにしなくちゃ。 俺からはどんなことがあっても、別れようなんて言わないし、浮気とかだって一切しない、だから信じてくれてていい。だからどんな気持ちでもどんな考えでも、 ちゃんと俺にぶつかって理解させて欲しいし、俺の気持ちも理解して欲しい。 二人しかいないんだから、二人で歩いていくんだから・・・。 ちゃんと話しあおうよ。二人で頑張って行こうよ。」と初めて本気で私を叱りました。 結婚とは夢物語ではありません。 ほれたはれただけで一緒になったりしたら大変だと思います。 現実はシビアだったりするのかもしれない。 嬉しい時や楽しい時を共に過ごせるのは簡単だと思うけれど、 悲しい時や辛い時を共に過ごすことができることが大切だと思います。 ワガママと自己中とはちょっと違うように、 結婚生活の上で、甘えの一種としてのワガママならかわいいものだけど、 自分の意見が通らないとスネたり、泣いたり、飛び出したりっていうのは ワガママではなくって自己中なのだと思います。 私はそこを少しさし違っていたように思います。 「私を理解して!というのではなく、じゃああなたを私に理解させて!」 という気持ちで接することが大切なのだと思います。 これはきっと恋愛中にでも言えることなのかもしれませんが・・・。 結婚して3ヶ月間は衝突が絶えなかった私達も、今では衝突もほとんど勃発しなくなりました。 あれから家出もすることなく(もう2度としない)、 無事結婚記念日も迎え、今は旦那様の転勤によりNYで二人で生活しています。 知り合いが一人もいないのは寂しいけれど、 旦那様がいてくれるから頑張っています。

<結婚そのものについて。段取り・問題等>
   私達の結婚式は両親兄弟のみの海外挙式と、お友達だけの帰国後のPartyでした。 準備は海外挙式は準備という準備はなく、 会場やウエディングドレスを選んだり、ブーケや髪型を選んだり、その他オプションを選んだりというだけで簡単でした。 ウエディングドレスは作りました。Partyにも着るので元がとれるので。 準備は約3ヶ月前から始めました。 人気の会場だと早目の予約も必要だと思います。  Partyは東京の1軒家のレストランを貸切りにし、レストランウエディングを会費制でしました。 私達は来ていただくお友達に満足していただきたいという気持ちから、 おいしいお料理にこだわりました。 色々下見してここだというレストランを選びました。 お色直しはありません。 こういうところは自分でプロデュースできるので、 花屋さんにも直接希望を言って依頼し、レストランにもメニューを色々依頼できます。 ウエルカムボードもドラジェも招待状も席札も席次表もゲストブックもすべて手作りにし、トイレの中にも海外挙式の写真を飾ったりその1軒家をまるまる自分達でコーディネートできるので大変だけど、楽しかったです。 お友達には一人づつ、席のところに二人のメッセージを書いて置いておいたり、 とっても好評でしたよ。 ただあまりにも手作りだったので、司会者さんだけは業者に依頼して、しめるとこはしめていただきました。
こんな私達の結婚式の下準備ですが・・・
<6ヶ月前> 各両親に挨拶
<5ヶ月前> 両親の顔合わせと 希望の結婚式のスタイルの申し出と了解を得、 打ち合わせ
<4ヶ月前> 海外挙式の場所とレストランの場所を探す
<3ヶ月前> 海外挙式の申し込み(旅行会社依頼) レストランの申し込み ウエディングドレスを選び、仕立ててもらう その他の海外挙式にまつわるものの申し込み マリッジリングを依頼 新居探し
<2ヶ月前> レストランウエディングの招待状作成 レストランウエディングの時の会場の装飾とブーケ等を花屋さんに依頼 司会者とメーク&着つけと写真を業者に依頼
<1ヶ月前> 旦那様新居に引越し 電化製品・家具選び レストランウエディング時の司会者とメーク&ヘアーの打ち合わせ ウエルカムボード、席次表、席札、ゲストブック作成 リングピロー作成
<3週間前> 気持ちだけの引き出物選び
<2週間前> お客様へのメッセージカード作成
<1週間前> 海外挙式&新婚旅行の準備 ドラジェ作成 海外挙式&レストランウエディングの最終確認 って感じでした。

遠距離だと一番大変だったのが、 レストラン選びと新居選び。 私が東京に行った時に集中して探すので いつもクタクタになってしまいました。 あと、家具と電化製品も2日間で買い物したので すっごく疲れました。 週末ごとに準備できるものとそうでないものがあって、 私が東京に行かなくては準備できないものは本当に大変でした。 早く準備をはじめたところで、 忙しくなる時期というのは一緒だとおもいますが、 できることは後回しにしないで、 さっさとやっていっておいた方が正解です。 結局新居は、旦那様が一人で色々と探しておいてくれて ここぞっていう物件がでてから、私がその週末見に行き、決めました。 後、海外ウエディングだとヘアメイクが思うように行かないことも しばしばらしいので、自分の思うヘアメイクの切りぬき等を持参するのも いいと思います。 なんでも外人さんのヘアメイクさんだと派手になりがちだとか・・・。 お役にたてれたら幸いです。 最後までお付き合いくださりありがとうございました。